Contemporary Buddha 29 ~私




日常、

私たちは、


「私の身体」の一部を作っている、


筋肉のタンパク質や、

骨のカルシウムまでふくめて、


「私の身体」であると考えています。





そうであるならば、


私のしてきたすべての経験を、

「私ある。」

と言っても、


おかしなことではないのではないでしょうか?



それは、


筋肉におけるタンパク質や、

骨におけるカルシウムと同じように


「私」の人格の一部であるのですから。





逆に、


何の経験もしたことのない心が、


「私」というような、


確固とした人格を形成することが

できるでしょうか?



できないだろうと思います。




「私」とは、


「私」のしてきた経験すべてをふくめて

「私」なのです。



つまり、


私の接してきた、


すべての存在、

すべての他者もまた「私」なのです。






つけ加えるならば、



私たちがしている経験は、

限られた経験です。


この宇宙のあまりにも小さい一部分でしかありません。



しかし、

その出来事は、


宇宙のすべての現象とつながって成り立っています。


宇宙のほかの現象と切り離されて成り立つ存在など

なにひとつないからです。






「私」を構成している内容をふくめて、

「私」と呼ぶなら、



世界のすべてが、

宇宙のすべてが私です。







他者を愛することは、

自己を愛することに他ならないのです。