Contemporary Buddha

2019年08月

Contemporary Buddha 21 〜白鳥とライオン








断言しておきますが、




おろかな人たちに嫌われるのはよいことです。


それは、


あなたがおろかではないということで

あるからです。




心の卑しい人たちに蔑まれるのはよいことです。


それは、


あなたの心が卑しくないということで

あるからです。





なにもできない人たちに憎まれるのはよいことです。


それは、


あなたが有能であるということで

あるからです。




嫉妬深い人たちに妬まれるのはよいことです。


それは、


あなたがその人たちとは違うということで

あるからです。







白鳥はアヒルの群れに入れてはもらえませんし、

ライオンは羊の群れには入れないのです。




それは悲しむべきことではなく、


喜ぶべきことなのです。



























Contemporary Buddha 20 〜重荷をおろすこと





二千年も前から、


多くの宗教では、


「欲望を捨てなさい。」

「執着を捨てなさい。」


と教えてきました。




そういわれると、

とても厳しい道のように聞こえますが、



本当はそれは、


「(心の)重荷をおろしてもいいんだよ。」


ということなのです。








本当はそれは、


私たちを楽にしてくれようとして

説かれた教えであったのです。























Contemporary Buddha 19 〜風音






あなたは、


人から誤解され、

悪く言われることがあるでしょう。



誰からも悪く言われないなどという人は

誰もいないのです。



あなたはそのことで傷つくことも

あるかもしれません。






しかし、


忘れてはいけない。




誰も充分な判断力をもっては

いないのです。


ごくごく狭い範囲を越えた判断力は

誰にもありはしないのです。








その人たちの言葉は風の音と同じです。


何の意味もないのです。


ただの音でしかありません。

























Contemporary Buddha 18 〜親のない子








唯物論や無神論を信じても

もちろん構いません。





でも、


親のない子や、

親に愛されない子は、


神様や仏様以外のどこに愛を求めれば

よいのでしょうか?



容貌の醜いといわれる人や、

社会的に差別されている人は?



とりかえしのつかない罪を犯してしまった人は、


どこに愛を求めればよいのでしょうか?






人間が、

その人たちを平等に愛することができるとは

思えません。








すべてのものを、

なにひとつ捨てることなく、


平等に愛することができる存在があるとしたら、


それは、

有限なものではありえない。





すべてのものを、

なにひとつ捨てることなく、

平等に愛することができる存在があるとしたら、


それは、

無限なるものでしかありえないでしょう。




























Contemporary Buddha 17 〜善と悪







善とはなすべきもののことであり、

悪とはなしてはならないもののことです。




人が好むもののなかには、

善なるものと悪なるものとがあり、


人が嫌うもののなかにもまた、

善なるものと悪なるものとがあるのです。



多くの人が好むからといって善ではなく、

多くの人が嫌うからといって悪ということでは

ありません。




私たちは、


「好き」ということと、

「善」ということを混同してはいけないし、


「嫌い」ということと、

「悪」ということを混同してはいけないのです。




それらを混同するなら、


たとえ、

その行為が善意から出たものであっても、


それは、


必ず、

自分自身や、

自分の周りの人に悪となり、


苦しみをもたらすこととなってしまうでしょう。







認識に錯誤があれば、

善意からなしたことも悪となり、


善意からなしたことも

苦しみをもたらすこととなってしまうのです。





















































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