Contemporary Buddha

Contemporary Buddha 27 ~静かなる水






心が静かであるということは、

心を閉じることではありません。



心が静かであるということは、

すべてを受け入れるということです。



それは、


すべてを愛することと言ってもよいかも

しれません。





湖の水が静かであるとき、

その水はすべてを映すのです。



























Contemporary Buddha 26 〜努力と苦労について




たとえ、


あなたがどれほど努力したとしても、


それはあなたがなしたことではありません。




あなたが息をする力すら、


あなた自身の力ではありません。



それは食べ物となってくれた

ほかの生命から


与えられたものです。




逆にいうと、


あなたの努力や、

あなたの苦労は


すべてほかの生命たちが背負ってくれている

ということです。



どのような努力も

あなたひとりでしているのではありませんし、


どのような苦労も

あなたひとりで背負っているのではありません。




どのような人も、


けして自分ひとりで生きているのではないのです。


























Contemporary Buddha 25 〜光が生まれるとき





地獄とは、


昔から多くの宗教で、


罪をおかした人が死んでから行くところであると

言われてきました。



でも、


それは本当に死んでから行くどこかのことで

あるのでしょうか?



それは生きている間に


すでに私たちが体験することであるのでは

ないでしょうか?







地獄とは、


死んでからゆくどこかの場所のことではなく、



光を感じないこと、



生きていて、


存在に光を感じられない、


世界に光を感じられない、


そのようなことであるのでは

ないでしょうか?







存在はどのような存在であっても

必ず光を持っています。


でも、

その光は愛のない心には見えない光なのです。




私たちが生きていて、


もし、


何かの存在に、

誰かの存在に、


あるいは、

この世界に光を感じないとするなら、



それは、

自分自身がそれを愛していないからなのです。








存在は必ず光を持っています。


人間の目にはどのようにみすぼらしく見える存在で

あっても。




でも、


その光は愛のない心には見えない光です。


いえ、


本当は、

私たちの愛こそが光であるのかもしれません。




























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